フリーダイバー菊本

魚突き、フリーダイビング、息止め、空家再生の話を書いていきます

フリーダイビングの天才|木下さゆりとの思い出話

ども、フリーダイバー菊本です。

 

今日は、さゆりとの想い出話を語ります。

 

8ヵ月前の2019年7月15日海の日に僕の大好きな友達であり、また、フリーダイバーの先生でもあった木下紗祐里は突然あの世に逝ってしまいました。

 

正直、この8ヵ月間はずーっと悲しくて、夢にはさゆりが何回も出てきました。

 

そして朝に、そのことが夢だとわかり、何回も落ち込みました。

 

今まで、色々な人にさゆりの話をされました。

 

さゆりが本当に色々な人に愛されていたことを知ると同時に、その話のたびに僕は悲しい気持ちでいっぱいになりました。

 

あまりにもたくさん、さゆりの話が出るので、最後の方は適当に相槌をうつだけにしていました。

 

話始める人は悪気がないかもしれませんが、僕はその都度深く悲しみ、それが自分の受け止められるキャパシティを超えていたからです。

 

しかし、時間が経過しやっと心が落ちつてきて、さゆりとの思い出を少し綴りたいと思うようになりました。

 

 

 

さゆりとの出会い

僕が、さゆりと初めて会ったのは、2015年5月大阪で行われたフリーダイバーの飲み会でのことでした。

 

そこに、Vertical blueというフリーダイビングの大会帰りのさゆりがいたのです。

 

周りのみんなはさゆりに対して

 

「さゆりちゃんおめでとう!」

「すごい!」

 

と祝いの言葉を送っていたのですが、僕はなんのお祝いなのかさっぱりわかっていませんでした。

 

聞くと、世界中の強豪が参加すると言われるvertical blueでさゆりが優勝したというのです。

 

ノーフィンで60m、フリーイマージョンで80m潜ったというのです。

 

僕は信じられない気持ちになりました。

 

僕はその当時、フリーダイビングを始めて間も無く、確か潜れる深度も30mくらいで80mなんてまさに夢のまた夢だと思っていました。

 

また、僕が練習していた神子という場所は最大深度が52mで、練習に参加していたメンバーも30mから40mくらいを潜る人がほとんどだったので、フリーダイビングとはそうゆうもんだと思い込んでいました。

 

それが目の前にいる女の子が80m潜ったということを知り、本当にびっくりしました。

 

そして、さらにすごいことに、その時さゆりはフリーダイビングを始めてまだ2年目くらいでした。

 

始めた時期は僕とさほど変わらないこの子が世界一をとる。

 

僕にとって、とてもワクワクする出会いでした。

 

さゆりに沖縄の大会に誘われる

会も終わりかけの頃、さゆりに3ヵ月後に開催するフリーダイビング沖縄大会に出てみないかと誘われました。

 

その時僕は、その誘いを全く嬉しくなかったのを覚えています。

 

僕の心境はこうでした

 

「こんな化け物どもが出る大会なんて絶対出たくない」

 

ということで、

 

「いや、出ないw」

 

と言いました。

 

「なんで」

 

と言われたので、

 

「俺は30くらいしか潜れないから、恥ずかしい」

 

と言いました。

 

すると、

 

「そんなの全然関係ないよ!気にしてる人は誰もいないよw」

 

とさゆりは答えました。

 

僕は、誘うために適当なことを言ってるのかなとも思ったのですが、話してるうちに少しづつ興味が湧いてきて、最終的に参加すると言いました。

 

その時は、わからなかったのですが、今ならさゆりが言っていたことがよくわかります。

 

フリーダイビングは、他人が潜った深度をあまり気にしないスポーツです。

 

もちろん、深く潜れた人には、「すごい」という気持ちが湧くのですが、浅くしか潜れない人に「しょぼい」という気持ちは全くわきません。

 

それぞれが、それぞれの深度に対して課題をクリアするために頑張っている姿をリスペクトし合うスポーツだからです。

 

沖縄大会始まる

 

沖縄に到着すると、さゆりが迎えにきました。

 

そして会うなり、「今回は残念だったね」と言いました。

 

「え?」

 

と言うと、

 

「メーリスきてなかった?台風で大会中止だよ」と言われました。

 

メーリスって何!?

 

メーリスの存在をしらなかった僕は残念がると思いきや、「あっこれで大会でなくて済む良かった」とちょっと安心してしまいましたw

 

でもせっかくなので、沖縄で台風が来るまでの間の3日間みんなで練習することになりました。

 

次の日早朝、指定された港に言ってみると、フリーダイバーがたくさん集まっていました。

 

船に続々と乗り込み、深いポイントまで15分くらい走ります。

 

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確か10人くらいフリーダイバーが乗ってたと思います。

 

みんな、それぞれが今日潜る深度を責任者のさゆりに伝えていきます。

 

僕が、31mと答えると、横の人が40m、その横の人が45mと続いていき、一番潜る人はなんと80mを申告していました。

 

なんで練習でこんなに潜るんだよと思いましたが、みなさんこれがウォーミングアップの深度とのことでさらに驚いたのを覚えています。

 

この時の練習は申告が浅い人から潜ると言うことで、僕がトップバッターになりました。

 

僕は、神子ではそこそこ潜れていた方だったので、31mが一番浅い深度だと知り、フリーダイバーやべえと心底思いました。

 

ちなみにフリーダイビングの練習はこんな感じで行われます。

 

言葉で説明すると長いので写真でどうぞ

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暑すぎて上半身裸の菊本



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フリーイマージョン

※フリーイマージョンなのに足にラニヤードをつけてない無知の菊本

 

こんな感じで沖縄の綺麗な海で存分練習できました。

 

そして、これは練習終わりの写真

 

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世界の篠宮龍三と写真をとってると写真に写り込んで来るお茶目なさゆりw

 

練習終わりは、さゆりん家でパーティ

 

3日間の練習を終え、台風がきました。

 

沖縄の台風はとても強いので、海は荒れまくり、練習どころではありません。

 

と言うことで、エネルギーを持て余した僕らはさゆりんちでパーティをすることになりました。

 

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ちょっと見にくいですが、奥の真ん中がさゆりです。

 

さゆりは料理が得意だったので、みんなのために、サラダやカレーなど本当に美味しくて体に良さそうなものをたくさん作ってくれました。

 

そのおかげで、酒も進みましたw

 

次の日が練習だと僕もさゆりも酒は飲みませんが、台風で確実に明日海にいけないことがわかっていたので、なんの躊躇もなくひたすら酒を飲んでいました。

 

かなりの時間が経ち、みんな潰れたり、帰ったりする中

 

僕らは朝まで酒を浴び続けていました。

 

最後の方は、ラッパ飲みで二人でワインとかウォッカとかを回し飲みしていました。

 

寝てる人にいたずらしたり、酔っ払ってわけの分からないものを作って潰れてる人を起こして食べさしたり、爆音で音楽かけて踊ったり、屋上に行って台風を感じたり

 

その度にゲラゲラ笑いながらとても楽しい時間を過ごしました。

 

この時のおかげでさゆりとは仲良くなれました。

 

さゆりとの楽しかった練習

 

沖縄の出来事から僕らは、しばしば一緒に練習することになります。

 

さゆりの実家はプールなので、そこを貸切にして贅沢に練習したりしてました。

 

スタティックと言う息止めの練習を二人でしていた時のこと、さゆりは僕に大切なことを教えてくれました。

 

「息を止めて苦しくなってきても、体の力を抜いて自分の体をつぶさに観察するといいよ」

 

そんなこと言われても初めはよく分からなかったのですが、練習を重ねるうちに徐々に、さゆりのアドバイスを理解できるようになってきました。

 

「苦しいと感じてさせくれる体に感謝する」

 

 こうゆうこともよく言ってました。

 

確かに苦しいと言うサインがでなければ僕らは頻繁に失神してしまいます。

 

新しい視点を彼女から教わりました。

 

海での練習もよく付き合ってもらってました。

 

僕が、60mにどうしても到達できなかった時

 

「息が続く気がしない、絶対無理」

 

と伝えたところ

 

「完全にリラックスさえすれば絶対いける」

 

と言われ

 

本当に後のことなんて一切考えずにその瞬間瞬間で、「体をリラックスすることだけ」を意識したら本当に60m潜れました。

 

そして、それから数日のうちに記録はどんどん伸び、最後の練習日にはなんと70mを潜れるようになっていました。

 

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この写真は70mの記念にとった写真です。

 

あんな短いアドバイスのおかげで自分の気持ちがガラッと変わり、すぐに結果に繋がったことにびっくりしました。

 

さゆりのいる長崎に引っ越す

僕は、1年前大阪から長崎に引っ越してきました。

 

長男がきのくに学園に行きたいと言うので、僕らは一家ごと長崎に移住してきたのですが、たまたまそれがさゆりの実家のすぐ近くでした。

 

さゆりはその時、沖縄に住んでいたのですが、長崎の実家にもしょっちゅう帰ってきてました。

 

帰ってくるたびに、一緒にプールで練習したり、ランチを食べたり、色々な話をしました。

 

ちょうどその時、さゆりは、

 

「ねえねえ私新しい彼氏ができたんだよ、じょうまくんと同じ魚突き好きなんだよ」

 

と言って、写真を見せてくれました。

 

その写真の魚がめちゃくちゃデカかったので、僕は彼氏の話はすっかり忘れて、

 

この魚どこでとったの?

 

なんて魚?

 

と答えて、めちゃくちゃ笑われましたw

 

改めて、写真をみると日本人ではなさそうだったので、

 

「何人?」

 

と聞くと

 

「オーストラリア人なんだ、この前のヨーロッパの大会で会ったんだよ」

 

と言ってました。

 

彼氏はフリーダイビングに対しての熱意もすごいみたいで、彼から教わった新しいトレーニングを僕にも教えてくれました。

 

例えば、体とプールの端っこを強力なゴムで結んで20秒間無呼吸で泳ぐ

 

といったトレーニングも二人でよくやりました。

 

このトレーニングは少しでも気をぬくと、一気にプールの端っこまで引っ張られてしまうので、本当に大変でしたw

 

プールでの練習が終わり、さゆりが沖縄に帰る直前、こんな話をしてくれました。

 

「長崎を出た後は、一旦沖縄に帰って、それからギリシアで1ヵ月トレーニングして、8月の末からニースに入るんだ」

 

「ニースの海は冷たいから早めに行って慣れとかないとね!」

 

この時、僕も日本代表に選ばれた直後であったので、緊張してた気持ちがますます緊張したのを覚えています。

 

そして、さゆりのプールを出た直後、

 

「次はニースで」

 

と言って、お互いハイタッチして別れました。

 

そして、これが僕らが交わした最後の言葉になります。

 

次に会ったのは事故直後の沖縄の病室で、その時のさゆりは言葉を発することができませんでした。

 

最後に

さゆりは僕の大事な友達であり、先生でした。

 

僕のくだらない話やアイディアに対しても、いつも、

 

「いいね、いいね、やろうよ!」

 

とよく言ってくれました。

 

海の練習をしている時は、フロートにつかまりながらよくフリーダイビングのことについて話していました。

 

僕が70m潜った時は、30mまで迎えに来て水面まで一緒に泳ぎながらずっと見守ってくれていました。

 

さゆりが見守ってくれていたから、僕はリラックスできて深く潜ることができました。

 

僕が今潜れるようになったのも全部彼女のおかげです。

 

あの時、大阪で彼女と会うことなく、沖縄に行くこともなかったら、今のような自分は絶対に存在しませんでした。

 

偶然の出会いが僕をここまで成長させてくれました。

 

 

僕は、さゆりと、もっともっと一緒に練習したり、大会に出たりしたかったです。

 

ニースも本当は彼女と行く初めての世界大会でした。

 

さゆりのおかげで随分潜れるようになった自分を彼女に見ていてもらいたかったのかもしれません。

 

そして僕も日々進化する彼女の潜りを間近で見たかったのです。

 

そんなことを思っていましたが、残念ながら彼女はニースに来ることができず、海の日に遠いところへ逝ってしまいました。

 

この8ヶ月間本当に悲しくて思い出しては泣いていましたが、少し落ち着いて来ました。

 

この悲しさは一生続くかもしれませんが、ブログに思い出を綴って行くことで少しづつ整理していこうと思います。

 

さゆりはもう居なくなっちゃったけど、さゆりとの思い出やさゆりの言葉はまだ僕の中で生きてるよ。